統合報告書2025_和文
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 430年以上にわたり、人々の生活に欠かせない非鉄金属を社会に提供してきたという歴史。その中で住友金属鉱山グループは、大きな事業環境の変化を鋭敏にとらえ、新たな価値を創造してきました。 これまで培ってきた金属を扱う技術、地球および社会との共存をうたう精神に基づき、多様化・高度化する社会要請の変化を事業機会ととらえ、これからも変革への新たな挑戦に取り組んでいきます。南蛮吹き銅鉱石の中に含まれる銀を抜き出す技術は当時の日本になく、銅に銀を含んだまま銅の価格で販売・輸出されていました。蘇我理右衛門が銅と銀を分離する「南蛮吹き」と呼ばれる製錬技術を開発。大阪の銅製錬業者に広く公開し、富の海外流出を防ぎました。鼓銅図録 南蛮吹きの図 住友史料館所蔵1590年銅製錬事業の始まり1590年、住友の銅事業は、京都で銅吹きと銅細工を開業したことに始まります。日本で初めて、「南蛮吹き」と称する銀・銅分離の技術を完成させたことにより、事業基盤を固めました。1691年別子銅山開坑別子銅山は1691年の開坑から283年にわたり操業を続け、住友の発展に大きく寄与しました。この別子銅山の開坑を機に、住友の事業は銅の製錬事業に加え資源事業へと広がっていきます。別子銅山で培われた鉱山技術は、世界に広がる当社の資源事業に脈々と受け継がれています。明治期の別子銅山図1650年頃文殊院旨意書(もんじゅいんしいがき)現代に続く住友の事業精神は、住友家初代政友(1585年〜1652年)が晩年、商人の心得を説いた文殊院旨意書が源となっています。1894年大規模植林事業第二代総理事となる伊庭貞剛が別子銅山支配人に就任し、大規模な植林事業を開始。ピーク時には毎年200万本を超える植林を行い、別子山を緑あふれる山に蘇らせました。1917年金鉱山事業を開始資源としての金の重要性が高まる中、北海道・鴻之舞鉱山の経営権を1917年に取得しました。鴻之舞鉱山旧別子銅山[住友史料館所蔵]現在画像提供[住友林業(株)]1905年新居浜沿岸部から四阪島に製錬所を移設15001600銅製錬1700銅鉱山18001900金鉱山5製錬事業資源事業材料事業経営・サステナビリティ価値創造のあゆみ

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