1939年ニッケルの製錬事業を開始国内での製錬ができず輸入に頼っていたニッケルの国内製錬に先■をつけ、1939年からニッケル製錬を事業化しました。1961年ベスレヘム銅鉱山への投融資買鉱契約を締結国内鉱山の縮小により、海外から原料を調達し製錬する方式への転換を余儀なくされていました。1961年にベスレヘム銅鉱山への投融資買鉱契約を締結し、海外鉱山へ参画。現在に至る鉱山権益取得への足掛かりをつくりました。1960年材料事業へ進出新たな市場として電子材料事業が注目されており、当社は1960年にトランジスタ向け二酸化ゲルマニウムの生産を開始しました。その後も様々な電子材料を市場に提供し続けています。1939年四阪島、煙害の克服煙害の根本原因であった亜硫酸ガスの排出ゼロを実現し、世界中の銅製錬所が抱えていた煙害問題を世界に先駆けて解決しました。1971年東予工場の生産開始1973年別子銅山閉山1973年鴻之舞鉱山閉山1966年リードフレーム事業の開始1979年佐々連鉱山閉山1985年菱刈鉱山の操業を開始1979年、佐々連鉱山の閉山により、永く引き継がれてきた鉱山技術の幕が一度は閉じることになります。しかし1985年に菱刈鉱山が操業を開始。当社グループの技術は新たな地で歴史を刻みはじめました。現在まで豊富な金含有率を誇り収益の柱となるとともに、鉱山技術を継承する役割も担っています。1986年モレンシー銅鉱山の権益を取得海外銅鉱山への投資を 本格化1991年3万トンバース(荷役のために船が着岸する場所)完成1993年ニッケル製造プロセスをMCLE法に転換MCLE法とは、マットおよびMS(ニッケル・コバルト混合硫化物)を高温で塩素に溶かし、電解法にて高純度ニッケルを生産する製法です。他の製法と比べてコスト競争力があるものの操業技術は難しく、類似した技術で商業化している生産者は当社グループ以外には数社しかありません。1992年カンデラリア銅鉱山への資本参加1999年JCO臨界事故1999年9月30日、原子力発電用の核燃料を製造する子会社(株)ジェー・シー・オーで臨界事故が発生し、当社グループの経営のターニングポイントとなりました。この反省から2000年に「企業再生計画」を策定しました。コンプライアンスと安全文化の醸成・浸透を徹底し、事故後20年を超える中でも記憶を風化させず、世代を超え事故の教訓を受け継いでいます。銅製錬銅鉱山金鉱山経営・サステナビリティニッケル製錬海外銅鉱山材料6価値創造のあゆみ
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